花とおじさんのセミリタイア生活

2017年7月セミリタイア生活始めました。

成人式に行かなかった人はセミリタ向きかも

成人式に行かなかった人はセミリタ向きかもしれません。


個人的に積極的に成人式に参加するような人達はあまりセミリタ向きではないと思う。
渋々さんかしたような人達はどちらともいえない。
積極的に不参加だった人はたぶんセミリタ向きだと思うなあ。


積極的に参加するような人達は友人が多いか基本見栄っ張りだと考えられ、どちらも全くセミリタイアには不向きな属性。


逆に積極的に不参加な人達は友人が少ない又はゼロなので見栄をはるような友人が居ないと思われる。


自分の場合は友人どうこうより着る服が無かった事とそもそも行く意味を見出せなかったので積極的に不参加だった。


セミリタ向きな属性として最も大事なのは他人と比較しない事だと思っているのでアンチ成人式の人はまずこれがクリアできている。

何の為に換気なのかを知らないからこういうアホな事になる

何の為に換気なのかを知らないからこういうアホな事になる。



女性は一人暮らしで、換気のため寝室の窓を開けた後に入浴。風呂上がりにベッドに向かったところ、急に胸の痛みを覚えた。診察した医師からは「温まった体で、急に寒い部屋に入ったのでヒートショックを起こしたのだろう。発見が遅れれば、命が危なかった」と言われたという。


これ最悪なヒートショック逆対策だよなあと思う。
本来風呂場は暖めかなければならないのに換気したらさらに室温が下がってしまう。


近所に住む娘は「コロナ感染が怖いので、母にはこまめに換気をするよう言っていた。こんなことになるとは……」と肩を落とした。


コロナ対策に換気しろとの大合唱だがそもそも何のための換気なのかを一般人は理解していないからこういう事が起こる。
不特定多数の人が来るような屋内は換気が大事だが自宅で家族だけならそれほど必要ないし、まして1人暮らしならコロナ対策の為の換気なんて全く必要ないのに無知だとこいう思考になるのだろう。


マスクもそうだが世の中の一般人は何の為のコロナ対策か判っていない人が多すぎる。

コロナ後はセミリタが流行るのか?と勘違いした記事

コロナ後はセミリタが流行るのか?と勘違いした記事です。



個人的には「「働かざるもの食う~」が死語になる」こ事は日本ではコロナ後であろうが当分無いだろうというのが持論です。


また、世界的に長寿化は進んでおり、日本はその最先端をいっています。「人生100年」ともなれば、これまでのように、学業を終えてから定年まで、毎日のように働き続けられるでしょうか。ちなみに、私はイヤです。そもそも、「人生100年」でさえも怪しいものです。何歳まで人間の寿命が伸び得るかは、専門家でも意見が分かれるのだそうです。仮に120歳、150歳となっても、私たちが安心して暮らせる社会経済の構築を念頭に置く必要があるでしょう。


100歳はまだ判るが150歳まで生きる事はありえないので検討する意味ないよなあ。


となると、健康な人であっても、「休む(休業)」時間をみずからの選択で持ちつつ、長く働くことが「新しい働き方」になっておかしくありません。そうなれば、世の中には、「働けない人」以外にも、ある一定程度の積極的な“失業者”が恒常的に存在することになります。


積極的な失業者とはセミリタ民の事かと一瞬考えたがセミリタ民は恒久的に積極的な失業者であって、この著者が考えるのは一時的に積極的な失業者の事だろうなあ。


このように、富の再分配は、“すべての人”を対象とすることが大切です。すべての人が生活できる基盤を作ることができれば、「循環」のベースができるのではないでしょうか。個人的には、「[ベーシックインカム]」がふさわしい制度ではないかと思っています。


個人的にはベーシックインカムには賛成の立場だが日本の状況では考えるだけ無為なぐらい不可能だと思う。


ですが、空き家が増えて、人口減少を迎えている現在の日本では、「家余り」が加速しています。供給が需要を上回れば、価値は下がります。全体的に住宅相場が下降すれば、持家ではなく、賃貸を選択する人も増えるでしょう。となると、「住宅資金」は「事前準備の費目」ではなく、家賃として、毎月の「支出の一費目」となる人が増えていくと思います。



これには全く賛同できないなあ、空き家が増えてもそこに低家賃で住めるわけでもないし、ある程度の都市では劇的に不動産が安くなっている状況も今後すぐには望めないし。
まだ暫くは持ち家信仰は残ると思う。


しかし、人生100年時代に備えて「そのぶん、より多くの老後資金を貯めましょう」というのはあまりに拙速な考え方だと思います。前述の通り、人間の寿命は伸び続けており、100歳が平均寿命の“ゴール”とも限りません。だとしたら、貯めることを促す策ではなく、寿命が伸びても安心して生活できる社会を作るための策が必要です。一定の生活の基盤が守られることを前提に、休みながらも長く働くことができる環境づくりは、一つの解決策ではないでしょうか。


これも全く賛同できない年取ったら本人が働きたくても働く場所が無ければ頼れるのは自分の資金だけだと甥事が理解できていない。


これからは、「お金を貯めよう」ということも、「家計の常識」ではなくなってくると思います。個人的に、「貯め方よりも、使い方が大事です」と、もう何年も指摘し続けているのですが、一般的には、まだまだ認知されていません。


これは良いこと言うなあと思ったけどね。